今日から東京です。
が、福岡は台風。
台風でもよかった、定刻通り飛ぶようです。
搭乗した窓の外は大雨。
滑走路へ。
飛びました!
行ってきます★
高度が低いうちは厚い雲。揺れます。
厚い雲の上はいつだって青空、です★
雨の日だって、
雲の上はいつだって青空です。
定刻通り東京上空。
右側に東京スカイツリーが見えます(@@)
無事着陸。
遠くまで無事送り届けてくれてありがとう。
東京は、暑いです。
いや熱いです。
荷物を受け取って京急のホームへ。
快特であっという間に品川到着。
ここからタクシーで7分足らずで目的地の
幽霊坂に到着しました★
幽霊坂って面白い名前ですよね。
幽霊坂(ゆうれいざか)は、日本に数多くある地名の一つ。
本項で扱う幽霊坂は、同音異字で有礼坂とも記されるところの、東京都港区三田四丁目に所在する、坂の名称である。他の幽霊坂との明確な区別が必要な場合は、三田の幽霊坂(みた の ゆうれいざか)と呼ばれる。
なぜ幽霊坂と呼ばれているかと言うと、
当地は江戸の昔から「ゆうれいざか」と呼ばれているが、その名の正確な由来は不明である。 他にもある幽霊坂と同様に漢字では「幽霊坂」と記すのが通常であるが、「有礼坂」と記す場合があり、下記のとおり、双方に由来説がある。
幽霊坂の由来説
坂の周辺地域には、寛永12年(1635年)の江戸城拡張に伴って、八丁堀より移転されてきた寺院群が、道の両脇に建ち並び、昼でも幽霊が出そうなほど暗い場所であったことから、あるいは、それほどに寂しい場所であったから、とする。有礼坂の由来説
明治時代、文部大臣・森有礼(もり ありのり。その名「有礼」を音読みすれば「ユウレイ」)の屋敷が付近にあったことに因む、とする。ただし、後者の説は定説ではなく、むしろ単純に「幽霊」が持つ「負」のイメージを嫌って(もっとも、これを殊更嫌うのは、明治以降の日本人の感覚である)、地域にゆかりの人物名にこじつけたと考えるのが自然である。
なんだそうです。
確かに坂の両側に墓石がたくさんありました。
坂を下っていくとちょうど真ん中ぐらいにお寺があります。
お寺に向かって左側にいるのが、
通称「おしろい地蔵」、
正式名「御化粧延命地蔵尊」です。
化粧延命地蔵(おしろい地蔵)
山門横の地蔵堂に安置されている。
八丁堀の地蔵橋畔に放置されていたものを住職格翁宗逸和尚が修復、またこの地蔵が大変泥にまみれているのを不憫に感じた住職が白粉を塗って祭ったところ、和尚の顔面の痣が消えたので人々が病気のあるところと同じ部分に白粉を塗って祈願するようになったといわれる。「化粧延命地蔵(おしろい地蔵)」の名称で港区の有形民俗文化財に登録されている。
住職同様顔の痣・傷・シミに悩む者から肌(特に顔面)を綺麗に保ちたい者、もちろん左記以外の願いを持つ者も連日絶えることなく白粉を地蔵に塗り祈願している。
ということで、「美肌」のお地蔵さまなのです★
なので、早速。
おしろい地蔵さまに
置いてある「お粉」をお借りして、
御化粧をしました。
パタパタパタパタパタパタパタパタ
(きれいになりますように)
どうかキレイになりますように★
というワケで
東京出張1日目はこんな感じでした。
★わん!ポイント★
パタパタに夢中になりすぎて、
気がついたらたくさん蚊に刺されていました(泣
ー適材適食ー
小園亜由美(こぞのあゆみ)|管理栄養士・野菜ソムリエ上級プロ・健康運動指導士
*1:文中の表現は全ての人が対象ではない場合があります。現在治療中の方は必ず担当医や管理栄養士の指示に従ってください。食事療法は治療です。ひとりひとりの身体の状態に合わせた適切でオーダーメイドなカウンセリングが必要です。充分に注意してください。