▼前日分
2021年7月9日、鹿児島2日目。まずは早起きをして温泉に。
朝一番の温泉はとても気持ちよかったです★
部屋に戻ると、桜島が見えていました。雲が多いけど、でも、ちゃんと顔を出してくれました。
朝食。食前酒ならぬ食前酢としてパイナップルとお酢のスムージが出てきました。美味しい★
身支度をして宿を後にしました。(おせわになりました!)
隼人駅で車をレンタル。まず最初に向かったのは、スタバ。目的は、そう、47JIMOTOの鹿児島バージョン!
鹿児島 ちゃいっぺ 黒蜜クリーム フラペチーノ®
黒蜜の甘さとチョコレートチップの食感が楽しい「ちゃいっぺ~スターバックスのおもてなし~」をテーマにフラペチーノ®を考案しました。「ちゃいっぺ」とは、 慌てず急がずお茶を一杯飲んで行ってくださいという昔から伝わる相手の事を気づかう鹿児島の方言です。
黒蜜とチョコレートチップ、ミルクをブレンドしたベースに、黒蜜ソースを加え、仕上げにはホイップクリーム、抹茶パウダーと黒密をトッピングしました。抹茶パウダーと黒蜜で、豊かな自然と噴煙が立ち上るような雄大な桜島に見立てています。黒蜜のコクのある甘さとチョコレートチップの食感、さらにストローをさす位置によって黒蜜の味わいが変化する商品で、様々な世代の方に親しまれる味わいに仕上げました。
※鹿児島県の店舗で販売します。(一部店舗を除く)
鹿児島 ちゃいっぺ 黒蜜クリーム フラペチーノは、とにかくザ・黒糖でした。味はもちろん見た目にも黒糖を細かく砕いた粒々が残っていました。ネーミングで想像していた甘さよりも全然甘くはなかったです(でも甘いは甘い)。とっても黒糖の風味がしっかり強くでていました!
先日、福岡バージョンを飲んだので2県制覇です!
美味しいものを頂いたので、では、出発。まずは霧島神宮です。
霧島神宮(きりしまじんぐう)
鹿児島県霧島市霧島田口にある神社。延喜式内社の論社であり、旧社格は官幣大社。
アジサイで飾られた手水舎がとてもキレイ!
手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)
参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のこと。水盤舎(すいばんしゃ)、御水屋(おみずや)とも呼ばれる。
手水舎は、神社、寺院の参道脇または社殿脇に置かれ、参詣者が手や口を漱ぎ清める。多くの手水舎は、四方転びの柱が用いられ、四方吹き放しとなっており、その中に水盤が据え付けられている。柄杓が置かれており、それを使用する。柄杓にすくった一杯分の手水(ちょうず)を使い、一連の所作を行う。
新型コロナウイルス感染症は参拝の方法にまで変化をもたらしています。
- 一般的には次の通り。
- 右手で柄杓(ひしゃく)を取り、手水を掬(すく)う。
- その手水で最初に左手を清める。
- 次に柄杓を左手に持ち替え、同様の動作で右手を清める。
- 次に口をゆすぐためもう一度右手に柄杓を持ち替え、左の手のひらに手水を溜めて口に含む(柄杓の椀に直接口をつけない)。
- 音を立てずに口をゆすいで清め、そっと吐き出す。
- 先の動作で左手をもう一度清める。
- 最後に柄杓の柄を片手で持ち、椀部が上になるよう傾け、柄に手水をしたたらせて洗い流す。
- 柄杓を元の位置に静かに戻す。
不思議な石の塊を見つけました↓
なんと、日本国民なら誰もが知ってる有名な石、さざれ石のようです。
さざれ石
さざれ石(細石、さざれいし)は、小さな石。
国歌に詠まれている「さざれ石」
この石は学名を石灰質角礫岩と云う。石灰石が雨水に溶解してその石灰分をふくんだ水が時には粘着力の強い乳状体となり、地下において小石を集結して次第に大きくなる。やがてそれが地上に顕れて国歌に詠まれる如く、千代、八千代 年をへてさざれ石 巖となりて苔のむすと云う状は、実に目出度い限りである。
この石は国歌発祥の地と云はれる岐阜県揖保郡春日村の山中で発見されたもので、その集結の過程状態はこの石を一見してよく察することが出来る。
右の文章は昭和三十七年文部省の中庭に贈呈された「さざれ石」の木札に記されたものと同文であり、国歌に詠まれている「さざれ石」については岐阜県揖保川町出身の故小林宗一(号宗開)氏によって発見解明されました。
昭和六十二年 天皇誕生日
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
苔のむすまで
君が代
千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで」は、10世紀に編纂された勅撰和歌集『古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭に「読人知らず」として「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある短歌を初出としている。
色々解釈の仕方があるようですが、現在風に訳すと
君が代は・・・・・・・・あなたの時代が
千代に八千代に・・・・・永遠に
さざれ石の・・・・・・・小さな石が集まって
いわおとなりて・・・・・大きな岩になり
苔のむすまで・・・・・・苔が生えるほど
・・・・・・・・・・・・長い間続きますように
という意味なのかも知れません。
特にタイトルとなっている「君が代」は「天皇陛下」だと思っていたのですが、
当初は「祝福を受ける人の寿命」を歌ったものだが、転じて「天皇の治世」を奉祝する歌となった。
とあるように、めでたくお祝いの席で相手の幸せと長寿を祈っての歌が、そのうち天皇陛下のための歌に変わっていったようです。知りませんでした。ちなみに
1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化された。世界で最も短い国歌である。
最も短い、確かに短いですね。短いから子どもでも覚えやすいです。でも謳われている歌詞の意味を知ったのは大人になってからです。難しいですね。
ところで、君が代っていつから歌われているんでしょう。
一方、神奈川県横浜市中区に妙香寺という日蓮宗の寺院があります。この寺は国歌・『君が代』発祥の地として知られており、境内にその石碑が建てられています。薩摩藩は、1869年(明治2年)に日本で初めての近代的な軍楽隊である薩摩藩軍楽隊(通称、薩摩バンド)を設立しました。
薩摩バンドは妙香寺を寄宿舎とし、当時横浜に駐屯していた英国陸軍第十連隊第一楽隊長のジョン・ウィリアム・フェントンの指導を受けていました。その頃、日本にはまだ国歌がなかったため、フェントンは国歌の必要性を説き、歌詞があれば作曲しようと問いかけます。
それを受けた、当時薩摩藩歩兵隊長であった大山巌は、自分の愛唱歌だった薩摩琵琶の『蓬莱山』の歌詞の中より『君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで』の部分を選んで、フェントンに作曲を依頼します。フェントンはさっそく曲をつけ、1870年(明治3年)に薩摩バンドによって初演されたのです。すなわち、横浜の妙香寺の石碑は、国歌・『君が代』初演の地の石碑なのです。
薩摩藩、まさに鹿児島の人が日本で初めて君が代を演奏したんですね!
明治の初め、イギリスのエディンバラ公アルフレッド氏が日本に滞在することになり、その際にイギリスの軍楽隊長だったジョン・ウィリアム・フェントン氏がエディンバラ公を迎えるのにその頃日本には国歌と定まっているものがなかったので、それはよくないということで、作曲を申し出、歌詞は琵琶法師が歌っていたものの中から選び、そして作られたのが「君が代」で、それを薩摩の音楽隊=薩摩バンドが演奏したのが最初、ということのようです。
明治と云えば日本が急速に近代化していった時代。そんな中、君が代は生まれたということのようです。
薩摩バンド
君が代を最初に演奏したのがこのバンドである。
1870年(明治3年)、フェントンは、日本には国歌がないので歌詞さえあれば作曲をすると提案。大山巌らは相談のすえ、薩摩琵琶曲の「蓬莱山」の一節から「君が代」の歌詞を選び、フェントンに渡した。フェントンはその歌詞に曲をつけ、向島での調練の際に明治天皇の前で披露した。これが日本最初の「君が代」であるが、フェントン作曲のものは西洋調で、現在のもの(1880年(明治13年)に改められたもの)とは異なる。
なるほど。
霧島神宮からも桜島を眺めることができました。
次は鹿児島と云えばこちら↓
黒酢を観に行きます。
黒酢(くろず)
穀物を原料とする醸造酢の一種。黒色を呈するのが特徴である。ただし、日本の黒酢と中国の黒酢には原材料に違いがある。つぼ酢、米黒酢ともいう。
伝統的な製法では、野天に並べた陶製の壷(つぼ)を使って糖化、アルコール発酵、酢酸発酵させて醸造する。日本の黒酢
米、米麹、水を原料とする。
日本では1975年に鹿児島県姶良郡福山町(現在は霧島市福山町)の坂元醸造株式会社の坂元昭夫(坂元醸造株式会社会長)が壺つくりの米酢を「くろず(黒酢)」と命名して全国販売したことが最初である。製法には薩摩焼の54ℓの黒い陶器で地下水・蒸し米・混ぜ米麹・振り麹を原材料に職人が毎日育てており1年から3年もの長い時間をかけてゆっくり発酵・熟成したものだけを黒酢として出荷する世界でも非常に珍しい製造方法。(近年では化石燃料などで2~3か月で醸造したものを黒酢として販売するものもあるが正式ではないとされている)含有されているクエン酸が疲労回復、アミノ酸がダイエットに効用があるとされ、健康食品の一つとしてブームを呼び、大々的に様々な商品が開発され発売されている。効果については各社で実証実験などを実施しているようだ。ただし、過剰摂取は健康に被害をもたらす恐れもあり得る。
ということで黒酢の名付けの親、坂元醸造へ。
坂元のくろず(坂元醸造株式会社)
入口にあったこれ↑
ソーラー発電でした。
ここのモニタで坂元のくろずについての説明ビデオが流れていました。内容はこちら↓
歴史や作り方などとても興味深い内容です。
モニタの前に置いてある壺。私の手と比べたら大きさが判ると思います。外に出ると、ありました!この景色!
スゴい。美しい。
いったいココに幾つあるんだろう。。。
坂元のくろず、買いました★★★
もちろん?もう一箇所、黒酢、行きますっ!
桷志田かくいだ(福山黒酢株式会社)
桷志田には黒酢レストランがあって、黒酢を使ったランチを頂けるということなので来てみました!
これ↑全部、黒酢を使った料理なのです。
- 食前のリンゴ酢
- タコとあゆの前菜
- 自家製野菜のサラダ
- 肉団子
- 海老とホタテのジュレ掛け
- 車海老のエビチリ
- ほうれん草のキッシュ
- もずくスープ
- ご飯
- 抹茶のシフォンケーキ
- タンカンの酢
ご飯以外全部黒酢使ったメニューでした!美味しかったです★★★
しかも農園があってそこで採れた有機野菜を使っているそうです!
お腹もいっぱい大満足!なので、外に出てみると壺畑が拡がっていました。
桷志田では案内をしてくれるスタッフの人がいたので、色々お話をききました。
最後に黒酢を使ったドリンクを頂きました。美味しい★
*今回の黒酢見学でさらに興味が増しました。後日改めて「黒酢」についてお話したいと考えていますので、お楽しみに★
残念ですがそろそろ帰らないといけません。
隼人駅でクルマを返しました。駅に行くと、
大雨の影響で徐行規制となり、電車に乗れるか心配でしたが、
乗ることができ、無事、鹿児島中央駅に戻ってくることができました。
九州新幹線は通常運転中のようです。
ということで、博多に戻ってきました。
★モゥー!ポイント★
行くかどうか本当にずっと迷っていました。が、思い切って行ってよかったです★ ココロもカラダもリフレッシュできました。そしてずっと気になっていた黒酢。実際に行って観て本当に勉強になりました。さらに興味が沸いてきました。
今回の旅で思ったこと、それは「その土地にはその土地にあった食べ物が生まれる」ということ。ビデオにもあったように黒酢はまさに素材や気象条件などすべてが揃っていたからこそ、できたんだと感じました。自然の力って本当にスゴい。本当にスゴいと思いました。
仕事場と自宅の往復、そんな日常がずっと続いています。仕方のないことですし、必要なことだということは十分判っています、が、知らず知らずの間に溜まってしまっていたのかな、って思いました。おかげでいい気分転換になってまた暫く頑張れそうです。
何よりも「感謝」です。
ー 適 材 適 食 ーてきざいてきしょく
小園 亜由美 (こぞのあゆみ)管理栄養士・野菜ソムリエ上級プロ・健康運動指導士・日本化粧品検定1級
*1:文中の表現は全ての人が対象ではない場合があります。現在治療中の方は必ず担当医や管理栄養士の指示に従ってください。食事療法は医療行為です。ひとりひとりの身体の状態に合わせた適切でオーダーメイドなカウンセリングが必要です。充分に注意してください。