▼前回
仙台市内へやってきました。
伊達政宗公の眠る瑞鳳殿ずいほうでんへ向かいました。
瑞巌寺のようにたくさんの背の高い木木に囲まれています。
が、瑞鳳殿は小高い山にあります。
とても高くて大きくて太くて立派な樹。
瑞鳳殿にも宝物館があったのですが撮影禁止でした。
伊達政宗を初めとした伊達家由来の品々や
正宗公の頭蓋骨とそこから復元された顔などを見ることができます。
瑞鳳殿ずいほうでん
瑞鳳殿(ずいほうでん)は、宮城県仙台市青葉区霊屋下にある仙台藩祖伊達政宗の霊廟である。広瀬川の蛇行部を挟んで、仙台城の本丸跡と向かい合う経ヶ峯に位置する。元々あった建物は戦災で焼失したが、後に復元された。
瑞鳳殿の周辺には伊達忠宗の霊廟である感仙殿(かんせんでん)、伊達綱宗の霊廟である善応殿(ぜんのうでん)、妙雲界廟(みょううんかいびょう)、御子様御廟(おこさまごびょう)といった伊達氏に関連する霊廟や付属施設があり、一帯が「経ヶ峯伊達家墓所」として仙台市指定史跡となっている。また、瑞鳳寺が隣接する。
仙台藩初代藩主 伊達政宗の眠る瑞鳳殿。
第二代藩主 伊達忠宗の眠る感仙殿。
第三代藩主 伊達綱宗が眠る善応殿。
そして伊達家を支えた家臣達の墓がそこにはありました。
とても閑かな場所です。
伊達政宗
戦国武将として有名で「独眼竜」とも呼ばれていますね、詳しくない私でも知っています。少し調べたら興味深かったので紹介します。歴史的というより私的に興味を引かれたことです。
1)本名?は伊達藤次郎政宗。
2)「正宗」は間違い。「政宗」が正しい。
3)天然痘で右目を失明した。
4)豊臣秀吉の戦争禁止の命令をきかなかった(惣無事令そうぶじれい)
5)派手で見事な軍装から伊達者、のちの伊達男という言葉が生まれた。
6)政宗は健康に気遣っていた。
7)享年70。死因は食道がんと推測。主人を後負いした家臣は20名。
8)政宗は料理が趣味だった。
9)凍り豆腐やずんだは政宗が研究開発した。
10)「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなすことである」という言葉を残している。
11)身長159.4cm(当時の平均)。
12)血液型はB型。
13)黄金のロザリオを持っていた。
14)愛煙家で朝昼晩と規則正しく?たばこを吸っていた。
15)お酒の味には大変拘ったが、実はあまり強くはなかった。
政宗公にお別れを告げ、市内に向かいます。
この辺りには「花壇」という地名があるそうです。
仙台駅前で夕食です。
いな穂
いな穂は「セリ鍋」で有名なお店なのですが、残念ながら旬ではないのでありませんでした。
でもホヤを頂きました!
独特の食感に独特の味!
とても美味しいです★
お刺身も美味しい★
今の季節は「みょうがたけと志波姫豚のしゃぶしゃぶ」をご馳走になりました。
みょうがたけ
東北地方、宮城県の地域ブランド。
主に名取市で生産されている。みょうがの若芽に光を当てないように栽培したもの。京浜市場で流通するみょうがたけの大半を占めている。
志波姫豚しばひめぶた
宮城県栗原郡志波姫町のブランド。
豚特有の臭みがなく、きめ細かな肉質で軟らかい。保水性があり、冷めてもおいしく食べられる。
しゃぶしゃぶが終わったら麺とお麩で頂きます。
最後はご飯を入れて玉子を落とします。
ご馳走さまでしたーーー★
ご主人の優しさが伝わる味でした★
いな穂からJR仙台駅はすぐです。
そういえば「こけし」たくさん見かけました。
やっぱり「楽天」ですよねーーー★
仙台空港までJRで向かいます。
車内の中吊り広告に「土木職員募集」とありました。
まだまだ復興中なのです。
仙台駅から仙台空港駅まではあっというまです。
七夕には少し早かった、です。
見たいです、仙台七夕まつり。
そして帰る間際に再び「ずんだシェイク」を頂きました。
無事、帰福。
★ぶー!ポイント★
私にとって初めての東北。
あまり予定も決めずにリフレッシュしに行った旅行でした。
松島の美しさ。
たくさんの美味しいもの。
歴史。
中でも、
出会った人たちがみんな優しく、暖かでした。
相手を想い、助け合う。
そんな柔らかな気持を持った人にたくさん出会えました。
素敵な旅になりました★
ー適材適食ー
小園亜由美(こぞのあゆみ)|管理栄養士・野菜ソムリエ上級プロ・健康運動指導士
*1:文中の表現は全ての人が対象ではない場合があります。現在治療中の方は必ず担当医や管理栄養士の指示に従ってください。食事療法は医療行為です。ひとりひとりの身体の状態に合わせた適切でオーダーメイドなカウンセリングが必要です。充分に注意してください。