今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」
2019年5月1日水曜日。
「平成」が終わり今日から
私もみなさんも「令和」の時代を生きることになります。
画像元:令和 - Wikipedia
平成31年4月1日、
日本政府は新たな元号を「令和(れいわ)」と決定しました。
天皇陛下即位に合わせ5月1日から使用される「令和」は、645年の「大化」から数えて248番目の元号となります。
「令和」の典拠は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集『万葉集』に収められた
「梅花の歌三十二首 序文」にある、
初春の令月にして(しょしゅんのれいげつにして)、気淑く風和ぎ(きよく かぜやわらぎ)、
梅は鏡前の粉を披き(うめは きょうぜんのこをひらき)、
蘭は珮後の香を薫ず(らんは はいごのこうをくんず)。
の文言を引用したもので、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」
という意味が込められた元号となっています。
令和がよい時代になるように。
令和の素となった現存する日本最古の和歌集「万葉集」、
「梅花の宴」が行われたとされる
大伴旅人の邸宅を訪ねることにしました。
西鉄福岡天神駅より
特急16分 急行20分 各停35分の
西鉄二日市駅で下車。
線路沿いを歩きます。
目指すは「大宰府政庁跡」です。
気づきましたか?
「大宰府政庁跡」の「だ」の文字には「、」がありません。
「だざいふ」と訊くと
学問の神様「菅原道真」公をイメージする人も多いと思います。
菅原道真公を祀っているのは「太宰府」で「、」があります。
なぜでしょう?
その答えはダザイフ市が公式サイトで回答しています。
ちなみにダザイフ市は「、」ありの「太宰府市」と表記します。
古代におけるダザイフの正式な表記は、現存する古代の印影(押印された印の文字)が「大宰之印」であることから、「大宰府」であったと考えられています。
しかし、奈良時代の文書にも、すでに「太宰府」と表記されているものがあります。その後、中世からは「太宰府」と表記する文書が多くなり、近世以降はほとんど「太宰府」と表記するようになっているようです。これらの表記の使い分けについては、断定するまでは至っておらず、現在でも研究されているところです。
ただ昭和30年代末頃、九州大学の鏡山猛(かがみやまたけし)教授が地名や天満宮など以外は「大宰府」と表記するようにされたことをきっかけとして、一般には古代律令時代の役所、およびその遺跡に関するダザイフは「大宰府」、中世以降の地名や天満宮については「太宰府」と表記されるようになりました。現状では、行政的な表記もこれにならい、「大宰府政庁跡」「太宰府市」というように明確に使い分けています。
ちなみに、「宰府」という地名については、現在確認できる最も古いのは、永長2(1097)年の記述で、12世紀以降、使用例は増加していきます。この「宰府」は、役所機関としての「大宰府」、もしくは地名としての「太宰府」の略称として使用されたようです。
大宰府から太宰府へ変化していったんですね。
「、」のない「大宰府」を平安時代の和名で
「オオイミコトモチノツカサ」
と読ませ、
ーー天皇の命を受けて政治をする役所
という意味になるそうです。
つまり大宰府とは昔の役所で、
「太宰府天満宮」は
ーー大宰府にある菅原道真公を祀った神社、
ということなのです。
ちなみに「天満宮」とは菅原道真公を祀った神社のことで、
「天神さま」とは菅原道真公のことです。
福岡の天神もそこから付いたのだと考えられます。
朱雀大橋の上から川面を覗くと2羽の合鴨がなかよく食事中でした。
橋を渡った先には何かの碑がありました。
近づくと、
大君の
遠の朝廷(みかど)と
あり通ふ
島門(しまと)を見れば
神代(かみよ)し思ほゆ
『万葉集』巻3 304
この歌は、歌人として有名な柿本人麻呂が筑紫に下る時に海路で詠んだ歌の一首です。ここに出てくる島門とは島々を門に見立てたもので、おそらく瀬戸内海の島々だと考えられています。
大宰府が「遠の朝廷」と呼ばれた理由に、律令制下に置かれた地方最大の役所として、外国との交渉の窓口、西の防衛、また九州諸国をまとめるという役割を持っていたことが挙げられます。歌の世界でも、「遠の朝廷」は都から遠く離れた朝廷という意味で使われており、その多くが大宰府を指しています。人麻呂がいつ頃、この筑紫にやってきたのかは定かではありませんが、この歌からは彼が見たであろう景色を想像することができます。
柿本人麻呂の歌碑でした。
その奥には
朱雀門礎石
ここは、政庁南門から真南へ230mの地点です。 前を流れる御笠川の川底から、1982年に柱をすえる円座をもつ古代の礎石が発見されました。重さ7.5tもあり、上流から流されてきたような痕跡もないことから、もとの場所からあまり動いていないと考えられます。このことから、この付近に政庁・官庁へ入るための南の正門「朱雀門」があったと考えられています。
この南には、政庁に至る大道「朱雀大路」がありました。路面幅は約36m(120尺、8世紀)あり、奈良・平城京の朱雀大路(約75m)に次ぐ広さがありました。この広さは、外国使節などを迎える儀礼の場の意味もあったと考えられます。朱雀大路沿いには、都から赴任した官人が住まう「館」や、外国使節が滞在する「客館」が並んでいました。その先、街の南には「次田の湯」(現在の二日市温泉)もあり、官人や僧が入湯したという記録もあります。
朱雀大路の両側には、一区画は約90m四方の碁盤目の街・大宰府条坊が広がっていました。南北22区画(条)、東西20区画(坊)あり、約2km四方の広さがありました。
街の姿はずいぶん変わってしまいましたが、碁盤の目となっていた区画の痕跡を、ところどころに見ることができます。
かつての朱雀門の礎石=いしづえです。
ここから先が大宰府ということになります。
昔の「朱雀大通」。
遠くに見えて来ました。
左の碑に「大宰府」とあります。
大宰府が置かれていたのは
7世紀後半から奈良・平安時代まで。
今から1200年前。
そして「大宰府」の別名が「都府楼とふろう」なんだそうです。
都府楼のまわりは三方を小高い山で囲まれています。
季節は春。
僅かに残った桜と新緑が出迎えてくれます。
その中を歩いて行きます。
もう少しだけ早ければ、
きっと満開の桜を楽しむことができたかも知れません。
でも、これはこれでいい感じです。
とても気持のよい散策コースです。
ちょっとした森の中を歩いているようです。
「坂本八幡宮」に到着です。
坂本八幡宮(さかもとはちまんぐう)
福岡県太宰府市にある八幡宮。祭神は応神天皇。大宰府政庁跡の北西にあり、元号「令和」のゆかりの地とされる。太宰府天満宮の管理下にあり、常駐の宮司はいないため、いわゆる「御朱印」などは無い。
元号「令和」との所縁
2019年5月1日、「梅花の宴」についての序文を典拠とする新元号「令和」が発表されると、新元号ゆかりの地として注目されるようになった[4]。以前の参拝者は1日あたり20人ほどだったが、「令和」発表直後には3000人に急増したという。
なお、先述のように坂本八幡宮はかつての大伴旅人邸の有力候補地ではあるが、その他にも複数の候補地が指摘されている。
政庁東側、月山東地区官衙跡
政庁南側、大宰府条坊跡周辺
ここが当時、大宰府の長官=大宰帥だざいのそちだった
大伴旅人の邸宅があったのではとされる候補3箇所のうちの1つです。
そうであったのならここで「梅花の宴」が行われたことになります。
キレイに手入れされていますが
それほど大きくて立派なものというよりは、
地元の神社というイメージです。
鳥居の左手に「がらんさま」と書かれた岩があります。
境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台宗の寺院の故地に良く見かけられ、寺の中心地や結界となる境に置かれることがあるとか。この場所が大字の境で「辻」という小字であることも、当社の鎮守としての性格を表している、とあります。
「がらんさま」を漢字で書くと「伽藍様」になるのでしょうね。
「伽藍」は寺院の主要な建物を指す言葉。だから「がらんさま」は「伽藍」を守る神様だったそうです。
福岡県添田町HPに「伽藍様」の説明書きがありましたので、こちらをどうぞ。福岡県添田町教育委員会HP坂本八幡宮 〜「がらんさま」と呼ばれる立石がある神社 〜福岡県太宰府市の神社 ( 福岡県 ) - 九州〜列車で行こう〜下町親父の珍道中 - Yahoo!ブログ
手水舎ちょうずやで清めます。
『よい時代になりますように』
境内には大伴旅人の歌碑があります。
わが岡に
さ男鹿来鳴く
初萩の
花嬬問ひに
来鳴くさ男鹿
大伴旅人
現代語訳:
わたしの家の近くに男鹿が来て鳴いている。
今年初めて萩の花が咲き、雌鹿がやってきて
妻問い=プロポーズをしているよ。
大宰府に赴任してすぐに妻を亡くしている大伴旅人が
萩の花の咲く秋にふと妻のことを思い出している、
そんな想いの込められた歌なんだそうです。
大伴旅人として伝わっている画↓
坂本八幡宮の周りにはたくさんの歌碑があります。
「梅花の歌」の歌碑の傍には梅の木がありました。
一番奥が坂本八幡宮です。
大宰府跡に戻ります。
大宰府跡を出たところの足元にビューポイントがあります↓
ビューポイントから見た景色がこちら↓
ということで、駅に向かいます。
帰りは西鉄二日市駅ではなく「都府楼前駅」です。
西鉄福岡天神駅に到着です。
★ぶー!ポイント★
いかがだったでしょうか。
新元号「令和」の誕生の地をめぐる旅。
すでにたくさんのウェブサイトに情報がありますが、
私なりに実際に行って観てみたかったのです。
残念なのは休日は混むので
仕事が終わってから行ったので
到着が夕方になってしまったこと。
本当は大宰府跡敷地内にある
に行ってみたかったのですが閉館時間でした。
和歌など普段全く触れない私ですが、
歴史という程でもないですが
少しだけ昔の人たちのことを考えるきっかけになりました。
ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。
最後にヒトネタ。
「平成」の文字をひっくり返すと「令和」!
ー適材適食ー
小園亜由美(こぞのあゆみ)|管理栄養士・野菜ソムリエ上級プロ・健康運動指導士
*1:文中の表現は全ての人が対象ではない場合があります。現在治療中の方は必ず担当医や管理栄養士の指示に従ってください。食事療法は医療行為です。ひとりひとりの身体の状態に合わせた適切でオーダーメイドなカウンセリングが必要です。充分に注意してください。