今週のお題「地元自慢」
今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」
前回はこちら↓
8番曳山「金獅子」
本町(ほんまち)
弘化4年(1847)製作
金獅子 きんじし
本体獅子頭形。一閑張りに麻布を張り、地付・錆付で下地を作り、下塗り・中塗り、上塗りの漆塗りを行い、金箔で押す。部分の唇・鼻内・耳内は朱塗、眼は白塗、眼球・巻毛立上りは黒塗り、歯はプラチナ箔押し。
赤・青に続いて3頭目の獅子は金ぴか金獅子でした。
また御神輿が出発。
9番曳山「武田信玄の兜」
木綿町(きわたまち)
元治元年(1864)製作
武田信玄の兜 たけだしんげんのかぶと
「武田信玄の兜」は、兜の鉢の下、眉庇の上の中央に取り付けられた鹿角が特徴の曳山である。兜は主に頭部を覆う鉢と後頭部から首廻りにかけてを保護する錣、装飾のための鹿角からなる。鉢の頂天の穴は円筒状になり、獅子噛の前立ての顔側面や頭部に白熊が使われる。
有名な「風林火山」の旗をたなびかせてます。
駅構内で頂いたチラシでチェック中・・・。
10番曳山「上杉謙信の兜」
平野町(ひらのまち)
明治2年(1869)製作
上杉謙信の兜 うえすぎけんしんのかぶと
獅子頭の装飾が特徴の兜曳山である。この獅子は角があることから雄獅子を題材としていることがわかる。獅子頭につながる眉庇には三羽の雀が乗っている。眉庇の両側に位置する吹返しには上杉家ゆかりの紋がデザインされている。錣の縅(おどし)は赤一色に統一されている。
鮮やかなピンク色。上杉謙信と何か関係があるのでしょうか。
11番曳山「酒呑童子と源頼光の兜」
米屋町(こめやまち)
明治2年(1869)製作
酒呑童子と源頼光の兜 しゅてんどうじとみなもとらいこうのかぶと
源頼光に退治された鬼の頭領であった酒呑童子が源頼光の兜に噛みついている。酒呑童子の眼光は怒りに満ち、血走っている。酒呑童子の眉毛とヒゲは黒色で、頭髪は白色。噛みついた酒呑童子の左右に兜の鍬形があり、眉庇には三つの菊座が取り付けられる。吹返しには龍頭が描かれる。錣は四段組み合わされ、それぞれ赤色の縅で結合される。兜と首を絞める忍緒(しのびのお)は眉庇の下部に取り付けられる。
この曳山、もの凄く記憶に残っています。幼い頃の私はこの曳山を見て怖くて泣いてしまいました。特に何が怖かったかというと↓
この血走った目、です。。。今見ても怖い・・・。
12番曳山「珠取獅子」
京町(きょうまち)
明治8年(1875)製作
珠取獅子 たまとりじし
獅子が朱珠にしっかり爪をくい込ませて乗る形態が特徴の曳山である。「珠取獅子」は一般的には前足の片方で珠を押さえる形態であるため、この十二番曳山「珠取獅子」のように四本足で珠の上に乗っているのは珍しい。獅子は全体が緑色に塗られ、渦巻模様の毛並み部分は金箔押しと本体と同色の緑色で交互に塗るシンプルな色相構成と筋肉を思わせる表面の曲線により、力強さ、逞(たくま)しさがみられる。珠は全体が朱色で塗られているが、真ん中水平方向に二本の金箔押しが施される。制作当初は本体内側から幕を吊っていたようであるが、いつのころか八角形の幕吊り枠を取り付け、円形の珠を強調するようになった。四足で珠に乗る姿は、十九世紀の唐人町御茶盌窯の後期唐津にもみられる意匠であるが、細工人富野淇園はより一層卓抜な造形を造り上げている。
2番曳山「青獅子」と似ていますが、こちらは珠取獅子。前足?があります。見比べると面白いです。
13番曳山「鯱」
水主町(かこまち)
明治9年(1876)製作
鯱 しゃち
鯱はそもそも空想上の海獣である。姿は魚で背筋に鋭い棘(背ビレ)を並べ、胴体左右に胸鰭(大ビレ)と腹鰭(小ビレ)があり、天に高く聳(そび)える尾鰭を持つ。頭部は虎で、口には鋭い歯牙を並べ、鼻の左右には波打つヒゲがある。全体が本朱色塗りで、頭部はゴツゴツと凹凸のある変り塗りを施し、棘や鱗模様などを金箔で飾ってある。ちなみに鯱にも阿形吽形があり、水主町の鯱は口を開いた阿形である。
躯体(鯱)内部の中心を支点にして頭尾を互いに大きく上下可動する仕掛けになっている。また、昭和3年の第一回総塗替(新造)までは尾鰭は三分割に開閉できる形状であった。
こちらも7番曳山「飛龍」と比べると面白いです。というか鯱は空想だけど、シャチは実在するの?
14番曳山「七宝丸」
江川町(えがわまち)
明治9年(1876)製作
七宝丸 しちほうまる
六番曳山「鳳凰丸」と同様に船形を本体とした曳山で前面の船飾りは中国の伝説上の生き物である龍の頭部を制作している。船形には火炎を装飾する笠の火炎が特徴の屋台がある。この曳山本体には1.宝珠、2.軍配、3.打ち出の小槌、4.隠れ蓑、5.宝袋、6.丁子、7.一対の巻物の七つの宝をもっている。
七つのお宝って???と思っていたら書いてありましたね。
最後の「一対の巻物」ってなんだろうと調べましたが判りませんでした。
昔の唐津くんち
同じ曳山を引っ張ってます!何か感動します。昭和47年の動画ではもの凄い勢いで走ってます。
14の曳山が去ったあと
七宝丸のあとを追いかけるように道の両側で見ていた人達が全員動き出しました。それも一斉に。
私の後ろの広場が御旅所、14の曳山がここから順番に出て行きました。
動画で最後に右に曲がっていったその道です。
あ。小さな赤い鯛帽子の子を発見。
・・・コロナって、、、600円って、、、せめてコロナビールって書けばいいのに・・・他の人も「コロナだって!」って言ってました。
↑この立て看板って唐津くんち「専用」ですよね。唐津警察署長も気合いが入っています。ということで、
唐津神社
唐津くんちの神様の自宅???の唐津神社です。
唐津神社(からつじんじゃ)
佐賀県唐津市南城内にある神社である。旧社格は県社。
なので、唐津くんちのことについて詳しく書いてありました↓
で、正面の鳥居から出ようと思ったら・・・
御神輿を一生懸命持ち上げて運んでいました!!!
運ばれた後。
台車???が置いてありました。何だか貴重なものを見た気がします。
そして振り返って鳥居を撮りました↓
鳥居の右下にあるのは、、、
お、おばけ、、、やしき、、、。
これはまさしく福岡の放生会にあったのと、同じ・・・。
露店
その後、唐津市役所に向かって歩いたのですが、
お店もたくさん。人もたくさん。
唐津の街中
御旅所を勢いよく出発した曳山たちはそれぞれの地元の街に戻ってきていたようです。
ここにも白い曳山の跡が残っていました。
バックで仮のオウチに入ろうとしている曳山。
流石に兜の角?は外すようです。
唐津市ふるさと会館 アルピノ
せっかくの唐津なので何かお土産でもと思って立ち寄りました。
ぐるぐる店内を廻っていたら、
↑ひこにゃん???に似ていますが、唐ワンくんというようです。親子が「あ、唐ワンくんだ!」と言っていたので、地元では有名なのかも知れません。
一応、被ってみましたが、キツいです。大きなお友達用ではありませんでした。そもそも大人が被ってもかわいくはないです。
帰路
予想以上に唐津駅は混雑していました。本数が少ない上に、2両編成でたくさんの人が乗れない。
そこで、
ひとつ先の「西唐津駅」まで来ました。一旦改札を出て乗り直し。今度は姪浜駅方面に乗り換えます。というのも、姪浜まで1時間。立ち続けるのはちょっと厳しいので、始発なら座れると考えたのです。
電車のラッピングも唐津くんちでした。
思惑通り、ちゃんと座ることができました!が、
筑前前原駅で乗換でした。ほとんど筑前前原駅止まり。西唐津ー筑前前原ー姪浜ー福岡空港という感じになっていて、直通はあまりありません。でも乗り継ぎは降りたホームの反対側なので楽でした。
★がぉー!ポイント★
本当にひさしぶりに唐津くんちを観ました。
まず最初に思ったのは「あれ?曳山ってこんなに小さかったっけ?」。そう、私の記憶にある曳山はとても大きかったのです、と感じるくらい私は小さかったのです。
大人になって改めて観る曳山はとてもステキでした。エンヤー!エンヤー!ヨイサー!ヨイサー!のかけ声も曳山によって違っていて、面白かったです。曳山それ自体が地域毎なので、それぞれの地区でそれぞれの色があってとても面白かったです。
他の祭りと違いのは若い人たちがとても多かったという事。そして大抵小さい子を連れているって感じで、地元感を感じました。
地元感と言えば、道路の歩道の部分に座って観ているのですが、みなさん「慣れて」いる感じがして「いつもココ」って感じがとてもしました。
活気があってとてもよかったです!そして佐賀市出身としては、唐津っぽいなーとなんとなく思いました、なんとなく。
唐津から姪浜で降りたのですが、まだまだ乗っている人が多かったので福岡から観に来ているひとも結構いたのかも知れません。
面白かったです!そして赤い鯛の帽子がとても印象的でした★
ー 適 材 適 食 ーてきざいてきしょく
小園 亜由美 (こぞのあゆみ)管理栄養士・野菜ソムリエ上級プロ・健康運動指導士・日本化粧品検定1級
*1:文中の表現は全ての人が対象ではない場合があります。現在治療中の方は必ず担当医や管理栄養士の指示に従ってください。食事療法は医療行為です。ひとりひとりの身体の状態に合わせた適切でオーダーメイドなカウンセリングが必要です。充分に注意してください。