今週のお題「マメ」
前回の旅ラン:朝の京都を走ってみた★冬64本目の後篇です。
▼前篇
▼今回のコース
烏丸御池→蹴上インクライン→水路閣→南禅寺→平安神宮→烏丸御池
蹴上インクラインを過ぎて、赤茶けたレンガの橋のようなものを発見したところから続きのスタートです。
南禅寺水路閣
このレンガは南禅寺にある水路閣というもの。
南禅寺水路閣
水路閣は、第1疏水を蹴上から北へと分岐させた疏水分線の一部で、南禅寺境内を通る水路橋です。全長93.2m、高さ約9mの風格ある構造物で、歴史的な景観に溶け込んでいます。びわ湖疏水船【公式】赤レンガのアーチ「水路閣」
近代の趣を残すノスタルジックな建築室町時代の歴史を現代に残す南禅寺にありながら、一風変わって近代の香りが漂う「水路閣」。ローマ帝国の水道橋を連想させる堂々たる姿から、「水路閣」と呼ばれています。その曲線美を描く赤レンガのアーチは、南禅寺の和風建築にマッチし、独特な雰囲気のある美しさを湛えています。水路閣には近づいて触ることができ、近くの階段を登れば、水路閣を上からご覧いただくことも可能です。近年は、ドラマやアニメの舞台としても利用される南禅寺の水路閣。レンガ造りと自然風景が調和した幻想的な写真を撮影できるので、ぜひこちらで撮影してみてください。
「南禅寺」の観光・見どころ|美しい自然と歴史が融合したお寺|THE THOUSAND KYOTO(ザ・サウザンド京都)宿泊・観光に最適な京都駅徒歩2分のラグジュアリーホテル<公式>
前篇で紹介した蹴上インクラインの分線のひとつが、南禅寺の敷地の中まで続いていて、南禅寺の雰囲気を壊さないようなデザイン、それがこのレンガ造りの橋、それを水路閣と呼ぶそうです。
↑ひび???でもしっかり管理されているようです。
↑耳を澄ますと鳥たちのさえずりの中にかすかに水の流れている音が聞こえます。
南禅寺という場所、周りの緑、古びたレンガ、苔、デザイン。とても雰囲気がよいです。
↑水路閣は1888年に完成したそうです。今年で135年目。
↑この場所がとても雰囲気を感じます。まさに異世界のような、別世界のような、それでいてノスタルジックな不思議な空間です。
充分に水路閣を堪能してから後にしました(ランラン♪ランニング中)。
南禅寺
そう、ここは南禅寺の境内なのです。
南禅寺
最も格式高い禅宗の寺院
南禅寺とは、710年昔の1291年、亀山法皇が無関普門禅師を開山に迎えて開創した、臨済宗南禅寺派の総本山です。足利義満によって、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる「五山之上」とされ隆盛。さらに、当時最も傑出した禅僧が歴代住持として住山し、五山文学の中心地となるなど、禅界最高の格式を持ちます。多数の文化財・豊かな自然が見どころ
南禅寺は境内全体が国の史跡に指定されているのが特徴。国宝「方丈」や、「三門」をはじめとした重要文化財、国名勝の方丈庭園など、境内には見どころが豊富にございます。また境内は自然豊かで、歴史的建築物が自然景観に溶け込む様子は、非常に幻想的で美しいです。京都屈指の人気スポットで、多くの参拝客が訪れています。「南禅寺」の観光・見どころ|美しい自然と歴史が融合したお寺|THE THOUSAND KYOTO(ザ・サウザンド京都)宿泊・観光に最適な京都駅徒歩2分のラグジュアリーホテル<公式>
禅の世界では最高の格式を持つのが南禅寺、なんだそうです。
↑拡大すると↓
↑お掃除をされているお坊さん。
↑こちらにも
↑お坊さんたちが掃除をされていました。
↑お寺と本当にマッチングしています。
南禅寺 三門
三門という有名な門があります。
高さ22mを誇る「三門」
南禅寺の三門は、日本三大門の1つに数えられるほどの名門。別名「天下龍門」と呼ばれ、寛永5年(1628)大坂夏の陣で戦った武将や兵士の慰霊のために藤堂高虎により寄進されました。三門に近づけば、見上げるほどの大きさに圧倒され、さらに立派な柱や東洋一の石灯籠などの重厚さを感じることができます。美しさを物語る「絶景かな絶景かな」
皆さんは「絶景かな絶景かな」という言葉を聞いたことはありませんか?実はこの言葉、伝説の大泥棒石川五右衛門が、南禅寺の三門の上から満開の桜を愛でたセリフです。高さ22mから京都市内を一望できる楼上の景色はまさに「絶景」。春は桜、夏は青もみじ、秋は紅葉と、季節によって大きく様変わり。各季節に訪れ、その違いをお楽しみください。「南禅寺」の観光・見どころ|美しい自然と歴史が融合したお寺|THE THOUSAND KYOTO(ザ・サウザンド京都)宿泊・観光に最適な京都駅徒歩2分のラグジュアリーホテル<公式>
春の桜でも、夏の青紅葉でも、秋の紅葉でもなく、冬の枯れ木ですが、充分に「絶景かな、絶景かな」です★
↑門の近くまで来ました。注目して欲しいのはこちら↓
↑この地面に置いてある木。これを何て言うでしょう。そう「敷居」です。ここの敷居なんですが↓
↑わかりますか??? もの凄く大きく、高さがあるのです。このことから生まれた有名なことわざがあります、敷居が高いです。
敷居が高いってどうゆう意味で使っていますか?
- 相手に不義理などをしてしまい、行きにくい。
- 高級過ぎたり、上品過ぎたりして、行きにくい。
あなたはどちらの意味だと解釈していますか?
正解は文化庁のサイトにありました↓
「敷居が高い」の使い方
御存じのとおり,「敷居」は家の門や玄関,部屋の出入口などの引き戸や障子,ふすまなどを開け閉めするために床に設置される溝のついた横木のこと。ある場所に行きにくい,入りにくい気持ちを「敷居が高い」という言葉で表現することがありますが,「国語に関する世論調査」の結果からは,この慣用句の本来の使い方が忘れられつつある状況が分かります。
問 「あのレストランは高級すぎて敷居が高いよ。」と言ったら,その使い方はちょっとおかしいと指摘されました。「敷居が高い」の本来の使い方を教えてください。
答 「敷居が高い」は,もともと,不義理や面目の立たないことがあって,その人の家に行きにくい,という意味で使われていました。
1の意味が本来だったのですが、
最近では2の「高級過ぎて入りにくい」という意味で使われることが多くなっているそうです。
いずれにせよ、三門の敷居はびっくりする程とても高さがあって通りにくいことは確かです。
三門を離れると見覚えのある看板が↓
▲南禅寺 順正
1日目の夕食に頂いた湯豆腐のお店です。*詳しくはこちら↓
さらに走っていると今度はこちら↓
▲琵琶湖疏水記念館
琵琶湖疏水記念館(びわこそすいきねんかん)
京都府京都市の左京区にある記念館。1989年(平成元年)8月9日開館。琵琶湖と京都を結ぶ運河琵琶湖疏水の完成100周年を記念して京都市が開設した。開設20周年にあたる2009年には一時休館しリニューアルが行なわれた。所蔵資料は琵琶湖疏水とともに2007年11月に近代化産業遺産に認定されている。
↓そして朱色も鮮やかな大きな立派な鳥居が見えてきました。
平安神宮の略称「平安宮」とはなんて読むのでしょうか。覚えていますか?「へいあんぐう」ではなくて「へいあんきゅう」です。
▲平安神宮 応天門おおてんもん
大内裏(だいだいり)
平安京の宮城である。別名平安宮。
平安京における宮城内の天皇在所である内裏が「大内裏」と呼ばれた。14世紀になると宮城全体を「大内裏」と称するようになり、この用例が一般化するようになる。平安京の北辺中央に位置する。
平安宮内のこの応天門の位置を地図で示すと↓
で、大内裏の位置を京都の街的に示すと↓
平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)または平安城(へいあんじょう)
日本における古代最後の宮都。794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都。
桓武天皇により、長岡京に代わる都として山背国(山城国)愛宕・葛野の両郡にまたがる地が選ばれ、中国の長安城を模して793年(延暦12年)から建設された[2]。翌794年(延暦13年)に遷都。北部中央に宮城・平安宮(大内裏)が建設され、以降歴代の皇居が置かれた。遷都以来、平清盛により断行された福原遷都(1180年)の期間を除いて、東京奠都まで1100年近くに亘って都であり、形式的には1869年(明治2年)まで続いた。今日の京都市街が形成されるに至る。
まさに今の京都の礎、基礎の中心地ですね。
↑二条通 通過。
↑鴨川 通過。
高瀬川(たかせがわ)
江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵の父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。
開削から1920年(大正9年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいる。現在は鴨川によって京都側と伏見側に分断されており、上流側を高瀬川(普通河川高瀬川)、下流側を東高瀬川(一級河川東高瀬川)、新高瀬川と呼ぶ。京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺には花街・先斗町があり京都の盛り場の一つとなっており、桜の名所ともなっている。また、かつては多くの舟入、船回し(回転場所)があったが、今は一之舟入を残すのみである。なお、運河はすでに廃止されており、廃止後は京都市が管理する河川となっている。
高瀬川は鴨川から引っ張った運河なんですね。
高瀬川二条苑(たかせがわ にじょうえん)
1611年(慶長16年)、高瀬川開削者である豪商・角倉了以がその源流に建設した別邸跡にある日本庭園である。高瀬川源流庭苑とも呼ばれる。庭園の一角には、江戸時代初期に小堀遠州により作られた茶庭が現存する。
明治時代になって、元勲・山縣有朋が当地に第二無鄰菴(だいに むりんあん)と称される別邸を建設した。このときに庭園は、無鄰菴を作庭した小川治兵衛により改修され、現在に至っている。山県以降は、日本銀行総裁・川田小一郎らが当地に別邸を構えていた。
そして高瀬川の流れを屋敷内に引き庭園内に川を通したのが高瀬川源流庭苑のようです。
高瀬川の本来の意義、運河の様子も再現されていました↓
さて、ここからはラストスパートです。
↑京都市役所前駅 通過。
↑河原町通 通過。
↑三条名店街まで戻ってきました。
↑堺町通の標識。京都の街ってこんな風に京風な標識が多くありますね。
↑三条レトロまで戻ってきました。
ゴール!
★ぴょん!ポイント★
色々なところに目がとまり、足が止まってしまい、撮影してしまったのでタイム的にはそれほどよくはありませんが、それが旅ラン、特に京都の旅ランは最早観光のひとつのスタイル?です。
振り返ってみると、今回の京都の旅ランは「水」に関する場所をたくさん訪れた気がします。治水は今も昔も変わらない、大事なこと、なんだと思いました。
さて、次回は私の行きつけとも言える場所で、美味しいものを頂きます。お楽しみに★(つづく)
ー 適 材 適 食 ーてきざいてきしょく
小園 亜由美 (こぞのあゆみ)
管理栄養士・野菜ソムリエ上級プロ・健康運動指導士・病態栄養専門管理栄養士・日本化粧品検定1級
*1:文中の表現は全ての人が対象ではない場合があります。現在治療中の方は必ず担当医や管理栄養士の指示に従ってください。食事療法は医療行為です。ひとりひとりの身体の状態に合わせた適切でオーダーメイドなカウンセリングが必要です。充分に注意してください。