今週のお題「お花見」
今週のお題「メモ」
2023年4月2日日曜日、ランラン♪ランニングで西公園を訪れました。
西公園はその名の通り、博多・天神から見て西の方角にあります。
西公園(にしこうえん)
福岡県福岡市中央区の町丁であり、町内の一部において福岡県が運営する都市公園(風致公園)の名称でもある。行政地名(丁目の設定がない単独町名)としての西公園は全域で住居表示が実施済みである。町内の面積は約27.39ヘクタール、このうち公園の面積は約17.0ヘクタール。2022年9月末現在の人口は1,182人。郵便番号は810-0061。
西公園
そしてコレ↑が入口。大きな鳥居があります。鳥居の先は坂道になっていて両サイドにたくさんのサクラが見えます。
↑西公園と書かれた石の隣にテントがあります。なんのテントかと言うと↓
↑このように露店が並んでいるのです。
↑なんと今から約150年も前からこの地は公園だったそうです。
西公園の沿革
明治14(1881)年、園地を開拓して桜、モミジ等を植栽し「荒津山公園」、さらに明治3381900)年に園地を広げ「西公園」と改称し県民の憩いの場所となりました。
西公園は標高48m、面積17万m2の丘陵地で市街地や博多湾、志賀島などを望むことができます。また、桜の名所100選にも選ばれています。
江戸時代、荒津山には徳川家康を祀る壮麗な「東照宮」、その祭祀を司る「松源院」、徳川家光を祀る「源光院」がありました。
麓には福岡藩の要港「波戸(波奈)」を備え、城下防御の景勝の地でした。
そして桜の名所100選の地でもあるそうです。で、桜の名所で検索したら、日本さくらの会のサイトに掲載されていました↓
西公園
見どころ 4月上旬
博多湾を望む丘陵地で展望台からは福岡市内や志賀島を一望できます。「さくら名所100選の地」にも選ばれ、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サトザクラ、シダレザクラなど約1.300本が植栽されています。
そして福岡市中央区のサイトでも紹介されています↓
お花見の名所の一つとして挙げられる西公園は、福岡県内で唯一『日本さくら名所100選』に選ばれている場所です。春には約1,300本の桜が咲き誇り、多くの花見客でにぎわいます。
公園内には、東、中央、西の3か所に展望広場があります。落ち着いた雰囲気があってとても見晴らしが良く、博多湾や能古島、志賀島を望むことができます。
山頂付近にある光雲(てるも)神社は、福岡藩藩祖・黒田如水と初代藩主・黒田長政を祀っている神社です。また、菅原道真ゆかりの立帰(たちかえり)天満宮も公園内にあります。
そして、西公園の公式サイトです↓
と、さすが100選に選ばれるだけあって、綺麗です。ちょっぴり満開からは過ぎてしまった感じはしますが、視界が桜色です。
坂の上には階段があり昇った先には鳥居が見えていますが神社があります。
立帰天満宮
立帰天満宮(たちかえりてんまんぐう)
旅行から無事に帰り、無くした物が戻ってくることを願う神社
ご祭神は学問の神様の菅原道真
西公園さくら参道の鳥居をくぐり、光雲神社に続く参道の坂道を上っていくと、途中、左側に石で出来た鳥居が見えます。
鳥居の横の門柱を見ると「立帰天満宮」と彫られています。「たちかえりてんまんぐう」と読みますが、少し変わった名前の天満宮です。天満宮なので、ご神体は菅原道真ですね。
何を立ち帰るのだろう?
不思議に思いながら鳥居の横に立てられている説明板があったので見てみました。
立帰天満宮の入り口の鳥居の横にある説明板には次のように書かれています。
菅原道真を祭る神社です。社伝によれば、ご神体は元来、武蔵寺(筑紫野市)の境内に祭られていましたが、元禄年間(1688年 – 1703年)に荒津山の麓の源行院へ移されました。明治20年(1887年)福岡師範学校の建設に伴い、現在地へと移転しました。港近くに鎮座する当社は、その名称から旧藩時代には藩船の船乗りに信仰され、近代に入ってからも特に遠洋航海にでる漁業関係者の崇敬を集めました。戦時中には出征兵士の無事な帰還を願う人々が多く参詣したと伝わります。立帰天満宮の説明板 福岡市
武蔵寺は創建645年の九州最古の寺と言われています。藤の花が咲くことで知られ、藤寺とも呼ばれています。立帰天満宮は、立ち帰る、出発地点に帰る、無事に戻ってくることを願う神社とのことです。
「立帰」で「たちかえり」とはかなりの難読ですね。でも「無事に出発した地に帰る」ということは、ランラン♪ランニング中の私にはぴったり!です。(花見をしていますが、ランニング中です)
さらに続く階段を昇っていくと、
さらに素晴らしいサクラ色の景色がありました。
光雲神社
またしても難読。
光雲神社(てるもじんじゃ)
桜の名所として有名な西公園の52段の石段を上ると光雲(てるも)神社があります。
光雲神社には福岡藩祖・黒田如水と福岡藩初代藩主・長政が祀られています。神社の名前は、2人の龍光院殿(如水)、興雲院殿(長政)という法名から一字ずつ取って名付けられました。かつて西公園は荒戸山(荒津山)といわれ、金龍寺という禅寺がありました。福岡藩2代藩主・忠之のとき、この山に徳川家康を祀る東照宮を建立。金龍寺は鳥飼(現在の今川二丁目)に移されました。
徳川幕府が倒れ明治維新を迎えると、東照宮の意義も薄れ参詣者も絶えました。そして、明治40年(1907年)、東照宮跡に光雲神社が建立されました。
社殿は昭和20年6月19日の福岡大空襲で全焼しましたが、昭和41年に再建されています。拝殿の天井画は、舞鶴の地名にちなんだめでたい丹頂鶴で、木原信画伯が描いています。お賽銭をあげて参拝すると鶴の声が聞こえます。
境内には、福岡藩士で黒田二十四騎の一人・母里太兵衛(ぼりたへえ)の銅像が威風堂々と立っています。右手に持つのは名槍日本号。像の下部には、太兵衛をモデルとした民謡「黒田節」の歌詞が刻まれています。また、長政が愛用した水牛の兜の像もあります。
宮司代務者の石津美智子さんは「鎮座100年を経て、本殿や外壁なども修復されたので、ぜひお参りください。如水の祖父である重隆は、目薬の製造・販売をしていたので「眼」のため、そして、これからの人生にも御利益があると思います」と話しています。
「光る雲」と書いて「てるも」って素敵な名前ですね。今日は雲ひとつない快晴です。
母里但馬守太兵衛友信像(もり たじまのかみ たへえとものぶ ぞう)
黒田二十五旗の一人、智勇兼備の武将で主君長政公の命を受けて福島正則公に使いしたとき、禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大杯の酒を自若として飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。なお、像の下部には全国で親しまれている「黒田節」の歌詞が刻まれています。
目薬の木
黒田官兵衛(如水)の祖父重隆がメグスリノキを煎じた家伝の目薬で黒田家の財を築いたとされています。
↑光雲神社の宮司代務者の石津美智子さんが話していた『如水の祖父である重隆は、目薬の製造・販売をしていたので「眼」のため、』の目薬の木がありました。
メグスリノキ(目薬の木、目薬木、学名: Acer maximowiczianum)
ムクロジ科カエデ属の落葉高木である。チョウジャノキ、センリガンノキ、ミツバナ、ミツバハナともよばれる。
名称
和名「メグスリノキ」は漢字で「目薬の木」と書き、目の病気に効能があるとされたことに由来し、樹皮を煎じて洗眼薬としたことからこの名がある。地方名では、「チョウジャノキ」「センリガンノキ」ともよばれていいる。中国名は「毛果槭」。
↑分かれ道。園内地図を見てみると↓
と、西公園内には「さくら谷」があるようです。そしてこちらがそのさくら谷↓
↑ひらひらひららーと落ちる桜の花びら。
↑見ての通りアップダウンが結構あるのですが、ランナーが意外といました。たぶんガチ勢のみなさんです。
↑地面一面に落ちている桜の花びらはあたりを一気にサクライロに染めてとても綺麗なのですが、すぐに茶色くなって悲しい気持になります。
ということで、西公園を後にしたのでした。
★ぴょん!ポイント★
初めて西公園に来たのですが、想像以上にサクラが綺麗でした★ 100選に選ばれるのも納得、です。
「いつもの」スタート地点、かめさんこうえんから私のペースで楽しく走って45分ぐらいで西公園に到着しました。
たぶん2023年のサクラの花見はおしまい、と思ってしっかりと楽しみました。
ー 適 材 適 食 ーてきざいてきしょく
小園 亜由美 (こぞのあゆみ)
管理栄養士・野菜ソムリエ上級プロ・健康運動指導士・病態栄養専門管理栄養士・日本化粧品検定1級
*1:文中の表現は全ての人が対象ではない場合があります。現在治療中の方は必ず担当医や管理栄養士の指示に従ってください。食事療法は医療行為です。ひとりひとりの身体の状態に合わせた適切でオーダーメイドなカウンセリングが必要です。充分に注意してください。